「野球は負けても喧嘩は負けない」横浜鯨援隊
11月30日、ベイスターズ日本一優勝パレードが開催されました。
30万人のベイ・ファンが集まりました。
1998年の優勝パレードは40万人だったので10万人減です。
リーグ優勝していない事、コースが短縮された事が要因だと思います。
パレード前の南場オーナーの挨拶も相変わらず
今年のパレードに間に合わず死んでしまったベイ・ファンにも敬意を表して秀逸でした。
パレード後のインタビューで三浦監督が
やはり十数年前に亡くなった私設応援団の石川団長の話をしてくれました。
今回の日本一も墓前に報告に行ってくれたようです。
「1998年の優勝の後で団長のお店で朝まで騒いだのが思い出です」
とコメントしてくれました。
朝まで騒いだメンバーの中に自分もいました。
正確に言うと三浦大輔と斎藤隆は午前3時頃ベイ・ファンの女の子をお持ち帰りしたので
ちゃんと朝まで騒いでいたのは取り残された野村弘樹でした。
トイレから戻って「あれ?あいつらは?」と言う野村が不憫でした。
多少の間違いはありますが三浦監督のコメントで当時の事を思い出しました。
お店の中で投手大魔神佐々木、捕手谷繁、野手佐伯、波留という豪華な布陣で
オシボリ使って野球をやり、自分も打席に立たせてもらいました。
N社のH副社長が常々文句を言う通り
その瞬間は仕事の事を1ミリも考えていなかったと思います。