東京競馬場の思い出
学生時代1〜2年生は八王子校舎、3〜4年生は新宿校舎に通学していました。
その関係で1〜2年生の時は府中にアパートを借りて住んでいました。
東京競馬場が近くにあります。
当時は今のように若い女性ファンが通えるような雰囲気ではありません。
まだほとんどの厩舎が栗東や美浦ではなく競馬場内にありました。
会期外の時には騎手や調教師の人たちが府中の街に出て来て
買い物や飲食をする場面をよく見かけました。
馴染みの喫茶店や居酒屋の紹介で自然と仲良くなれました。
栗東に移転する時は送別会もしました。
もちろん当時も会期中の彼らは外出禁止です。
情報漏洩も厳禁ですが、
コーヒーを飲みながら「◯◯◯◯が調子いいんだよね」と独り言を言ってくれます。
覚えておくとその馬はほとんど2着以内に絡んでくれました。
馬券も単勝、複勝、枠連しかありませんでした。
それも1枚ずつ200円券、1000円券しかなく少し多めに購入すると凄い枚数になりました。
府中で開催の時は朝から2万円持って場内に入ります。
序盤の3〜4レースは予想だけしてその日の荒れ具合と出目とかを確認します。
2年程通うとスター馬だけでなくあまり勝てない馬にもお気に入りが出来ます。
中盤のレースで勝つとメインレースの軍資金が増えます。
負けてもメイン分は我慢して残します。
パドックで観察してギリギリまで予想して
〆切間際の馬券売り場窓口で購入します。
馬券を握りしめてスタンド中間の通路の手すりに登って観戦します。
ダービーとか人気のレースは知らない隣の人と支え合うような姿勢で観戦します。
当たると直ぐに払い戻し場に走ります。
外れると握っていた馬券を紙吹雪のように投げます。
メインスタンドの勝利の歓声や後悔の紙吹雪のシーンはとても興奮しました。
でもそれだけです。
他人の金にまで手をつけてスポーツ賭博に嵌った水原一平の気持ちは理解出来ません。
自分は真冬の京都で重いハンデに耐え切れずレース中に骨折したテンポイントが
薬殺された時に競馬熱は覚めました。
骨折してビッコ引きながらゴールを目指したテンポイントが忘れられません。